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金王八幡宮

この神社にはよく足を運んだ。

つまらない時、退屈な時、二日酔いの翌日、ギターを持ってよくここへ来た。

曲を作曲るんじゃなく、ギター相手に話すんじゃなく、今のように早く過ぎて行く時じゃなかったあの頃の、ゆっくりと過ぎ行く時をここ(金王八幡宮)の歴史とともに過ごした。

『Q』の下見にと40数年ぶりにここ(金王八幡宮)へ来た時、渋谷・天井棧敷館時代のわたしが今も息吹いているようだった。

影が走る
わたしの二十代の影が走る
影は純実体といわれているが、影を作るその実体が現(うつつ)の存在とする時
純実体である影こそが実体と思ったりもした

そんなことを思ったここ(金王八幡宮)はわたしの毎回毎度の、たとえ外国にいたとしても必ず立ち戻ってきた、過去の経験を今に生かそうと思い浮かべる心像が起こった分岐の地である。


J・A・シーザー記

金王八幡宮は925年に渋谷の地に創建され、現在の宮司家である比留間家は、明治初期よりこの神社をお守りしてきました。
現宮司である私の父は、7年前に海上自衛隊を退職後、家業継承のため神職となりました。
それ以来私自身も神社でご奉仕する機会が増えたのですが、たまたま私が社務所にいたあるときに、1枚の新聞記事のコピーを持って尋ねに来た方がいました。


「この事件について詳しく知っている人はいませんか?」


記事の日付は1969年12月12日。

天井棧敷と唐組の乱闘事件についてでした。
このときが、私が初めて天井棧敷と神社の繋がりを知ったときです。
それから数年後の去年、そのこととは直接的には関係のない様々な経緯があり、万有引力研究生として入団するに至ったのですが、入って分かったのが、神社はこの事件のみならず、天井棧敷にとって思い出の場所の一つであったということです。


このような偶然を大変嬉しく思うと共に、この御縁を与えてくださった金王八幡宮の神様に深く感謝しております。

比留間聡子

【QRブレイク】

はじめて渋谷・天井棧敷/地下劇場でワークショップに参加した際に行われていたカリキュラムは《演出家と新人俳優の一対一の「俺を怒らせろ!お前の言葉で、俺を怒らせろ!お前の言葉で!」》というものだった。

上演中の『時代はサーカスの象にのって』の終焉後の飲み会あとの23時頃から始まったそのワークショップは終電後も続いた。

◉彼らに話しかけてみよう◉

「Q」の帽子を被った男たち。

なにか面白い話が聞けるかも・・・!?

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